■研究代表者

九州大学大学院比較社会文化研究院基層構造講座 教授 田中 良之

■研究分担者

九州大学大学院比較社会文化研究院基層構造講座 助教授 溝口 孝司
東亜大学校人文大学考古美術史学科 教授 沈 奉謹
東亜大学校人文大学考古美術史学科 専任講師 金 宰賢


■研究協力者

九州大学比較社会文化研究院基層構造講座 助手 石川 健
九州大学大学院比較社会文化学府 博士課程3年 小沢 佳憲
九州大学大学院比較社会文化学府 博士課程3年 辻田 淳一郎
九州大学大学院比較社会文化学府 博士課程2年 舟橋 京子
九州大学大学院比較社会文化学府 博士課程1年 平 佳典
九州大学大学院比較社会文化学府 修士課程2年 端野 晋平
九州大学大学院比較社会文化学府 修士課程1年 岡崎 健治
九州大学大学院比較社会文化学府 修士課程1年 重松 辰治
九州大学大学院比較社会文化学府 修士課程1年 森口 伸哉


■研究要旨

報告書
 弥生時代開始期に日本へと渡来した集団の故地は韓半島南部であり、規模は少量でも、受容した福岡平野の人口が少なかったことから混血効果は高く、「渡来的弥生人」の形質ができあがった。次に、日本における支石墓の祖形は南江流域を中心とした地域であり、北部九州から離れるほど変形したものが周囲に分布する。また、弥生人の上肢を曲げる埋葬姿勢が源流は韓半島南部にあり、単なる姿勢でなく、葬送観念自体が韓半島から伝来したと考えられる。さらに、西日本弥生時代の下顎抜歯は、服喪抜歯の可能性が高く、韓半島青銅器時代にも下顎の服喪抜歯が認められることから、関連する可能性が指摘された。勒島の弥生中期後半の土器は、対馬・糸島・糟屋など九州の幾つかの地域から勒島へと渡来した可能性があり、この島が倭から楽浪へと至る当時の「外交ルート」の要衝であると考えられる。

■活動紹介

 本研究はいくつかのテーマに絞っておこなった。一つはいわゆる渡来人問題であり、それと関連した墓制・葬送儀礼の問題である。これによって、従来稲作技術の伝播に焦点が当てられ、必ずしも同列で論じられることの少なかったヒトそのものとイデオロギーの側面から、日韓の交流史を検討することができると考えた。また、弥生時代開始以降の日韓交流の具体的実態を明らかにするために、韓半島における弥生人の活動の痕跡を、土器を中心として追ってみた。具体的には、韓国における勒島遺跡を中心とする遺跡の調査および踏査、韓国出土の弥生土器および関連遺物の調査、勒島出土人骨を中心とした韓国出土古人骨の調査、日本における関連資料の調査、さらに以上をふまえた相互の意見交換および討論を行った。

コーナートップへもどる→

九州大学韓国研究センター
〒812-8581 福岡県福岡市東区箱崎6丁目10番1号
TEL:092-642-2136 FAX:092-642-4242
E-mail:syokikak@jimu.kyushu-u.ac.jp