尊敬する杉岡洋一総長ならびに教職員、学生の皆様、そしてご出席いただいたご来賓の皆様。長い歴史と伝統を誇るここ九州大学におきまして、今日、名誉博士の学位をいただけることを光栄に思います。
九州大学は94年の年輪を重ねた日本最高の名門大学の一つとして、日本はもちろん世界各国を率いる多くの人材を輩出してきたところと聞いております。
とくに九州大学は開学いらい、世界に向かって「開かれた大学」を目指してきました。何よりもアジアとの交流関係を重視し、アジア各国から多くの留学生を受け入れ、アジア地域研究に大きく寄与してきたと聞いております。
九州大学は釜山大学、忠南大学をはじめとする韓国の多くの大学と交流しております。今も100名を超える韓国留学生がこのキャンパスで学んでいるとのことです。韓国でも九州大学の出身者たちが各分野で活躍しております。
私は杉岡総長が九州大学の伝統を生かしながら、九州大学がアジア問題にさらなる関心を広げようと努力されていることに心から敬意を表するものであります。今後とも九州大学がこのような誇るべき歴史と伝統を継承・発展させ、日本とアジアを結ぶ「知性の架橋」としてその役割をさらに果たされることを期待いたします。
私はこの度、鹿児島で開かれた韓日閣僚懇談会に出席するため九州を訪れました。昨日、私は小渕総理とともに鹿児島で韓国人の末裔である陶芸家の沈寿官先生のお宅を訪ね、「薩摩陶磁器400周年記念石塔」の除幕も見てまいりました。
16世紀の豊臣秀吉による朝鮮侵攻の過程で、沈寿官先生の先祖をはじめ多くの朝鮮陶工たちが日本に連れてこられたことは、まことに不幸な歴史の所産でありました。
しかしこのような状況の中でも朝鮮の陶工たちはその創作魂を忘れず、また日本の大名たちは彼らの熱烈な後援者になり、ついに「薩摩焼き」のような世界的名声を博す芸術品を創造しました。韓国と日本の魂と力が合わさってかもしだされた「薩摩焼き」は、韓日両国民すべての誇りであります。
不幸な過去を乗り越えて立ち上がったわれわれ二つの国の先祖たちが、ともに力を合わせ新しい文化を創造しました。「薩摩焼き」「有田・唐津焼き」などの精神は、今や韓日両国民すべてにとって大きな鏡になっております。
私はこのたび九州を旅行しながら、この地の人びとが九州を明治維新の発源地として、日本を近代国家に作り上げるのに先頭に立った多くの人材を輩出した地域であるとする自負心を、胸の中に深くいだいていることを感じました。
私は九州がこのように日本の開化と近代化を率いることができたことは、早くから九州が日本の「世界に向かって開かれた窓」として対外交流の関門になっていたためと思います。
とくに九州は先史時代以来、韓半島から渡ってくる渡来人たちが大陸文化を伝える窓口でした。日本文化の源流といえる紀元前3世紀ごろの「弥生」文明は、ここ福岡の板付遺跡にそのまま残っております。
また、ここ福岡に日本の外交センターというべき鴻臚館の歴史遺跡があることを見ても分かるように、九州は日本が韓半島と大陸に向かって交流する出発点でもありました。
近代に入って九州は西洋の文明を受け入れ、これを日本全国に伝播する役割を忠実に果たしました。私はこのような伝統の中で、日本を近代国家に作ろうと献身した多くの志士たちが九州に生まれるようになったのだと信じております。
韓半島を含むアジア大陸と日本をつなぐ九州の役割は、過去のみならず今日においても継続されていると思います。釜山と福岡の間のこの狭い海峡は、韓国と日本を連結する定期航空便だけでも週14便に達しており、定期船便も週13便にもなっています。
私は九州が今後も引き続き韓国を含む世界に向かい、交流と協力の重要な役割を担当するものと信じております。