■九州大学名誉博士学位授与式特別講演(1998年11月30日)
『韓日関係の過去と未来』
大韓民国国務総理 金 鍾泌
【概略】
 日韓閣僚懇談会出席のため鹿児島を訪れた金 鍾泌大韓民国国務総理が、1998年11月30日、九州大学において「韓日関係の過去と未来」と題して講演されました。金総理は、新しい日韓関係の担い手である日本の若者に直接語りかけたいと日本語による講演を決断されました。九州大学は、政治家には初めてとなる名誉博士の学位を授与し、これにこたえました。

 当日は、小雨の中、九州大学に到着した金総理と洪外交通商部長官、金海洋水産部長官、金駐日大使、徐駐福岡総領事など一行は、貴賓室で杉岡総長、矢田副学長、柴田副学長など九大関係者と懇談した後、講演会場の50周年記念講堂に移動し、満場の拍手と九州大学フィルハーモニーオーケストラの演奏による歓迎を受けられました。

 金総理は「日本の知識人の皆さん、そして若い皆さん」と呼びかけつつ、45分間にわたって抑揚のある力強い調子で、特別講演「韓日関係の過去と未来」と題し講演され、講堂を埋めた学生・教職員約1、500名に大きな感銘を与えられました。講演の後、杉岡総長から名誉博士の学位を授与された金総理は、受け取った学位記を聴衆に向かって高く掲げ「良好な韓日関係は、アジアのみならず世界繁栄の鍵であり、これを築くことは、若者である皆さんの課題です。」と挨拶して再び大きな拍手を浴びました。

 韓国首脳の日本語による講演はきわめて異例で、九州大学での講演の模様は、新しい日韓関係の始まりを象徴する出来事として、マスコミでも大きく報じられました。

【特別講演】
1. 九州大学と九州訪問について
2. 韓日関係についての基本認識
3. 21世紀の到来と共存共栄の必然性
4. 新しく追求されるべき価値、よみがえらせるべき価値
5. 韓日両国の若者たちへ

1.九州大学と九州訪問について

 尊敬する杉岡洋一総長ならびに教職員、学生の皆様、そしてご出席いただいたご来賓の皆様。長い歴史と伝統を誇るここ九州大学におきまして、今日、名誉博士の学位をいただけることを光栄に思います。
 九州大学は94年の年輪を重ねた日本最高の名門大学の一つとして、日本はもちろん世界各国を率いる多くの人材を輩出してきたところと聞いております。
 とくに九州大学は開学いらい、世界に向かって「開かれた大学」を目指してきました。何よりもアジアとの交流関係を重視し、アジア各国から多くの留学生を受け入れ、アジア地域研究に大きく寄与してきたと聞いております。
 九州大学は釜山大学、忠南大学をはじめとする韓国の多くの大学と交流しております。今も100名を超える韓国留学生がこのキャンパスで学んでいるとのことです。韓国でも九州大学の出身者たちが各分野で活躍しております。
 私は杉岡総長が九州大学の伝統を生かしながら、九州大学がアジア問題にさらなる関心を広げようと努力されていることに心から敬意を表するものであります。今後とも九州大学がこのような誇るべき歴史と伝統を継承・発展させ、日本とアジアを結ぶ「知性の架橋」としてその役割をさらに果たされることを期待いたします。

 私はこの度、鹿児島で開かれた韓日閣僚懇談会に出席するため九州を訪れました。昨日、私は小渕総理とともに鹿児島で韓国人の末裔である陶芸家の沈寿官先生のお宅を訪ね、「薩摩陶磁器400周年記念石塔」の除幕も見てまいりました。
 16世紀の豊臣秀吉による朝鮮侵攻の過程で、沈寿官先生の先祖をはじめ多くの朝鮮陶工たちが日本に連れてこられたことは、まことに不幸な歴史の所産でありました。
 しかしこのような状況の中でも朝鮮の陶工たちはその創作魂を忘れず、また日本の大名たちは彼らの熱烈な後援者になり、ついに「薩摩焼き」のような世界的名声を博す芸術品を創造しました。韓国と日本の魂と力が合わさってかもしだされた「薩摩焼き」は、韓日両国民すべての誇りであります。
 不幸な過去を乗り越えて立ち上がったわれわれ二つの国の先祖たちが、ともに力を合わせ新しい文化を創造しました。「薩摩焼き」「有田・唐津焼き」などの精神は、今や韓日両国民すべてにとって大きな鏡になっております。
 私はこのたび九州を旅行しながら、この地の人びとが九州を明治維新の発源地として、日本を近代国家に作り上げるのに先頭に立った多くの人材を輩出した地域であるとする自負心を、胸の中に深くいだいていることを感じました。

 私は九州がこのように日本の開化と近代化を率いることができたことは、早くから九州が日本の「世界に向かって開かれた窓」として対外交流の関門になっていたためと思います。
 とくに九州は先史時代以来、韓半島から渡ってくる渡来人たちが大陸文化を伝える窓口でした。日本文化の源流といえる紀元前3世紀ごろの「弥生」文明は、ここ福岡の板付遺跡にそのまま残っております。
 また、ここ福岡に日本の外交センターというべき鴻臚館の歴史遺跡があることを見ても分かるように、九州は日本が韓半島と大陸に向かって交流する出発点でもありました。
 近代に入って九州は西洋の文明を受け入れ、これを日本全国に伝播する役割を忠実に果たしました。私はこのような伝統の中で、日本を近代国家に作ろうと献身した多くの志士たちが九州に生まれるようになったのだと信じております。
 韓半島を含むアジア大陸と日本をつなぐ九州の役割は、過去のみならず今日においても継続されていると思います。釜山と福岡の間のこの狭い海峡は、韓国と日本を連結する定期航空便だけでも週14便に達しており、定期船便も週13便にもなっています。
 私は九州が今後も引き続き韓国を含む世界に向かい、交流と協力の重要な役割を担当するものと信じております。


2.韓日関係についての基本認識

 日本の知識人の皆さん。
 今日、韓日両国は事実上、一日生活圏に生きています。よく両国を「近くて遠い国」といいますが、このような表現は歴史の特定時期だけを考えた狭い視角から出てくるものというほかありません。
 われわれ両国は1500年を越える長い歴史の中で「近くて近い国」として過ごしてきました。両国の仲が不幸だった時期は16世紀末、豊臣秀吉による朝鮮侵攻7年と、20世紀前半の帝国主義時代の36年間でした。これらの時期は両国関係においてごく例外的な時期でした。
 16世紀以前はもちろん、16世紀末の7年戦争以後でも徳川幕府と朝鮮王朝は260年余りも友好関係を維持してきました。
 徳川幕府時代に日本を往来した朝鮮通信使は当時、日本を訪問する唯一の公式外交使節団でした。このような大規模な使節団が定期的に大量の文化や文物を伝達したということは、世界の歴史にあまり例がなかったことであります。

 もちろん韓日両国民の間で友好関係を持続するということは、その時々の国民感情の上でやさしいことではなかったでしょう。歴史発展について正しい認識を持ち努力した朝鮮の申叔舟や四溟大師、そして日本の雨森芳洲のような先覚者たちがいたため、両国の友好は実現したのでした。
 このような友好の歴史にもかかわらず、20世紀初めの帝国主義の波の中で日本が韓半島を支配した事実は、韓国民に決して忘れることのできない胸の痛む傷痕として残るようになりました。
 しかしわれわれ両国はいつまでも過去にこだわっていることはできません。歴史の大きな流れは過去の傷痕を癒し、両国の友好・協力を確かなものにする方向に進展していかなければなりません。
 歴史的にわれわれ両国の仲が悪かった時にはアジアの平和が崩れ、両国の仲が良かった時にはアジアが安定を享受したという事実から、われわれは多くの事を学ばなければなりません。

 私はこの度、韓日閣僚懇談会に出席しながら、33年前に韓日国交正常化のために何回か日本を訪問し、関係者たちとの折衝や調整のために飛び回った時のことを思い出しました。
 ご承知のように韓日両国は、1948年に大韓民国政府が樹立された後も17年間にわたって絶交状態が続きました。私はこのような非正常的な状態が持続することは、両国関係のみならずアジア地域全体の安定と平和そして繁栄にも決して望ましくないと考えました。当時、国内の強い批判にもかかわらず国交正常化のために自らの政治生命を賭けました。
 1960年代初期の状況下では、私としましてはまことに難しい決断でありました。当時、国交正常化問題をめぐって国内では多くの非難と激烈な反対がありました。日本でも大韓民国との修交は韓半島全体との和解ではない、との問題が提起されたと承知しております。
 しかし、多くの難関を克服してやりとげた1965年の韓日国交正常化は、その後の両国関係の発展はもちろん、東北アジアの平和と安定に決定的に寄与したと思います。サンフランシスコ講和条約とともに、韓日修交はアジアの自由と安保を確保するうえで大きな支えになりました。
 日本としても平和憲法に忠実でありながら、国家発展戦略に邁進できるきっかけになったと考えます。
 韓国としては現実的に日本から提供された請求権としての有償・無償の資金が、韓国の深刻だった各種の困難さを克服し、経済発展という新しい歴史を開く土台になりました。
 当時、日本の外貨保有高が10億ドル余りに過ぎなかった中で、韓国に8億ドルの経済協力資金を提供することを決断した日本の朝野の指導者に対し、私は今でも感謝の気持ちを抱いております。

 韓日両国の志ある方々の声援によってついに国交正常化の歴史を開いたことを、私は今も自分の一生において最もやりがいのあった仕事のひとつだったと考えております。
 私やわれわれ韓国の国民が日本に対する心痛む記憶にケリをつけ、和解の手を差しのべたということは、両国の歴史を発展させなければならないという信念なくしては不可能なことでした。
 歴史はひとりでに書かれるものではなく、作られていくものだといいます。私はこのような観点から、今や両国関係をさらにいっそう未来志向的に発展させていかなければならないと考えております。
 私は近い隣人はもっともっと近くならなければならないと考えてきました。われわれ両国民がともに手を取り「近くて遠い隣人」ではなく「近くて近い隣人」を作らなければならないと思います。


3.21世紀の到来と共存共栄の必然性

 21世紀を前にしたこの時点で、韓日両国はより高い次元で緊密な友好協力関係に向かわなければなりません。われわれに訪れつつある時代はグローバリゼーション(Globalization)の時代であります。
 今われわれが生きている時代は、これまでのように一国中心に自国の利益だけを排他的に考えたのではどの国も生存することができず、発展することもできない時代へと急速に向かっています。今や地政学的な勢力均衡ではなく、地経学的な相互協力と相互依存が重視される時代に変わりつつあるということです。
 地球上の国々は、相互補完と相互協力でなければ存立できないようになりつつあります。今や韓日両国も国家と国益だけの概念を超越し、われわれすべての協力と繁栄、そして平和を考えなければなりません。
 われわれは相互競争によるゼロサム・ゲーム(Zero Sum Game)、すなわち自分が利益を得れば相手は損をするという論理ではなく、相互補完・共存共栄によるゼロポジティブ・ゲーム(Zero Positive Game)、すなわち自分も相手も共に利益を得るという論理を考えるべきであります。

 現在、アジア各国が経験しつつある経済危機も、やはり一国次元の対処では決して克服できない問題であります。
 今日、ヨーロッパや北米では地域内で発生する各種の困難を解決するために、地域統合がいっそう強化されています。この点においてはアジアも例外ではありえません。アジアにおいても地域共同体意識が切実に要請されております。
 しかしアジア地域では、アジアが持つ文化的多様性の問題よりはアジア各国の過去の遺産と国益中心の思考のために、新しい時代の思潮を先導する努力が不足していることは事実です。
 私はアジア人の共同体意識は、比較的同じ意識と同質的な文化を共有しているわれわれ東北アジア地域から始められなければならないと考えます。とくにわれわれ韓日両国はいかなる場合でも中国とも一緒に、今やアジア地域の統合を先導しようという認識と努力をともにしなければならないと信じるものです。
 そのようにしてアジアは近代以後、初めて受動的な客体ではなく能動的な主体として、世界の歴史を主導していかなければなりません。そうなればアジア・太平洋地域はきたるべき21世紀の人類の新しい富と文明を生む母体になるだろうと、私は確信しております。
 アジアは地理的な広がり、文化的な多様性、そして豊富な人口と労働力といった要因によって、今後もどの地域より無限の発展可能性を持った地域であります。昨年以降、アジア各国に広がった金融・経済危機をアジアの限界を見せたものと解釈する傾向もありますが、私はこれはアジア発展の一つの段階として構造調整の一環に過ぎないと考えます。

 将来、アジア諸国が改革と競争力強化を通じ経済危機を克服しうれば、世界はもう一度アジア諸国の底力に驚くことになるでしょう。しかし、私はここでアジアの今日について少し考えてみようと思います。
 韓国をはじめとするアジアの各国は今、IMFの金融支援を受けています。しかし私はアジア地域の国家間協力でこのような危機になぜ素早く対処できなかったのか、この点を残念に思うものであります。
 既にAMFつまりアジア通貨基金(Asian Monetary Fund)創設問題が何回か提起されたことがありました。その時、われわれアジアの国々がそのような提案を受け入れ地域協力機構を作っていたなら、われわれはもっと早く、もっと容易に、そしてわれわれの手で金融危機を収拾することができたでしょう。
 いや、ことによるとアジアの各国にそのような危機が来る前に、共に適切な対策を模索していたかも知れません。
 IMFが第二次世界大戦後、世界の経済秩序安定のために多くの役割を果たしてきたことは事実ですが、その問題点も指摘されている現状です。
 そんなわけで、地域内で問題が発生した場合、直ちに世界機構にすがるのではなく、まずこれを地域内での協力を通じて解決しようという努力が必要だと思います。西ヨーロッパは既にこのような事を立派にやっております。
 西ヨーロッパはこの間、地域統合のために多くの努力を傾けてきた結果、今日の世界的な金融危機の中で安定を確固として維持しております。このように世界主義と地域主義は相互補完しながら前進していかなければなりません。

 われわれアジア・太平洋地域の協力機構というべきAPECに対し、多くの専門家たちはこの間の6回にわたる首脳会議を見守りながら、アジア地域の国家間に、より実効性のある協力体を構成する必要性を強調しています。
 この度、マレーシアでの第6回APEC会議ではアジアの金融危機解決のための協力策が論議されましたが、具体的な実践策は出なかったといわれています。今やわれわれアジアの問題はアジア人の手でまず解決するため、アジア通貨基金(Asian Monetary Fund)の創設問題についてアジア諸国が真剣に考えて見る必要があると私は思います。
 アジア各国のいろいろな条件から、この問題は現実的に日本が先頭に立って発議し引っ張っていくべき問題だと思います。日本がアジアのリーダーとして、地域内の協力強化のため、財源も負担しながら先頭に立つなら、われわれも物心両面で支援を惜しまないでしょう。
 もし日本の努力によってアジア通貨基金、AMFが創設されて域内の危機に対処し、さらにそれが解決されるようになれば、多くの利益が日本にもたらされるでしょう。またそうすることで日本経済が豊かになれば、その波及効果はアジア周辺国家からさらに世界全域に拡大されることでしょう。
 日本は今やリーダーにならなければなりません。


4.新しく追求されるべき価値、よみがえらせるべき価値

 日本の知識人の皆さん。
 21世紀を前にした今、われわれが新しい韓日関係を模索するためには、その出発点は韓日両国の文化的接点を発見することでなければなりません。今やわれわれは両国文化の異質性を探すことより、普遍的なものが何かを求めなければなりません。
 相手の文化の包容性・多様性を再認識することにより、お互いが寛容と理解を広げなければなりません。
 日本の今日の教育理念や韓国の引益人間といった理念は、基本的には同じような価値に立ったものと考えます。とくに韓日両国はこれまで1500年の歴史を通じ文物を交流させてきた隣国であるばかりでなく、現在は東北アジア地域で自由民主主義と市場経済の価値を共有している国であります。
 われわれ両国民は個人の自由と共同体の善を調和させる知恵を、共通して持っています。このような共通の価値は、今日の自由民主主義秩序および市場経済の秩序と調和しうるきわめて素晴らしい伝統だと思います。
 また個人の自由と創意を尊重すると同時に、これを共同体の善に連結させようという意識は、今日われわれが世界と共に生きていける知恵とも相通じるものだと思います。

 西洋の自由民主主義という価値は、人間の自律と創意を追求する高い理想であるにもかかわらず、その個人主義的な傾向のために共同体に対する認識不足と協同心の欠如がいつも問題になっております。
 われわれ両国民が共有する東洋的な価値観は、西欧の自由民主主義文化の限界を十分に補完しうると考えます。
 しかしわれわれ両国民は今まで、われわれが持っているこのような価値をあまりに国家のワクの中でだけ解釈し活用してきました。これを世界に広げ、個人の自由をさらに発揚し、またこれを地球共同体の理想に調和させる努力が必要であります。
 今後は国益と世界共同の利益をどのようにつなげていくかということが、世界史的な課題になるでありましょう。このような人類史のカギは、われわれ両国民の伝統の中に求めることができると思います。

 21世紀を迎え今や韓国と日本は、世界人が共感しうるビジョンを共に提示していかなければなりません。
 とくに21世紀の門を開く地球村のスポーツ祭典、2002年ワールドカップ・サッカー大会を両国がいかにうまく開催するかということは、世界人に国家間協力の新しい可能性を示す一つの象徴になることでしょう。
 私はまた、日本国の元首である天皇が2000年までには韓国を訪問できるようになることを願っております。
 韓日間の将来を妨げている問題は20世紀のうちに解決してしまい、両国が21世紀を新しく開いていくことを期待するからであります。韓国民の暖かい歓迎の中で訪問が実現し、名実ともに両国の間の過去を清算し、明日を開く契機を作らなければなりません。
 そのようにしようとするなら、両国民が友好の土壌をさらに固める努力が先行しなければなりません。韓国民も新しい日本を理解しようと努力をしなければなりませんが、日本人も韓国民の心に残る恨(ハン)を刺激するような言動がこれ以上、出ないよう努力しなければならないでしょう。


5.韓日両国の若者たちへ

 日本人の知識人の皆さん、そして若い皆さん。
 韓日両国は1965年の国交正常化以後、両国関係の発展がお互いにとって重要だという認識を共にし、これにしたがって過去を克服しながらより高い次元の協力関係を発展させてまいりました。
 1965年当時、2億ドルに過ぎなかった両国間の貿易規模は昨年は430億ドルに達し、200倍以上にも増加しました。昨年、一年間だけで167万人の日本国民が韓国を訪れ、112万人の韓国人が日本を訪れました。
 このような両国間の人的・物的交流は誰も逆らうことのできない流れであり、今後も引き続き拡大していくでしょう。

 さる10月、金大中大統領と小渕総理は共に「21世紀の新しい韓日パートナーシップ共同宣言」という歴史的な文書を発表しました。
 この「共同宣言」は政治・経済・安保・文化といった両国関係のすべての分野にわたる包括的な協力原則であり、韓日関係を単純な両国関係の次元から、地域的・世界的な次元に引き上げようという新しい試みであります。
 われわれは21世紀パートナーシップを通じ、共に手を握り未来を開いていかなければなりません。
 韓日関係が真の意味の未来志向的な同伴者関係に発展していくためには、まず過去の問題がこれ以上、両国関係の発展に障害となることがないよう共に努力しなければなりません。
 日本国民には過去を直視し、歴史を恐れる真の勇気が必要であり、韓国民は戦後日本の変化した姿を正しく認識し、過去より未来の協力に焦点を合わせていく良識と知恵が要求されています。
 今や韓日関係は政府間の協力関係を越えて国民間の交流に拡大し、相互理解と信頼を増進させるべき段階に入ったものと信じております。とくに両国文化の相互解放は、両国民の理解の幅を広げうるよい機会になることでしょう。

 私はここで、両国関係の未来を担う若い世代の間に認識を共有しようという努力がきわめて重要だということを指摘したいと思います。
 今日、韓日両国の青年の皆さんは、それ以前の世代のたゆまざる努力で実を結んだ土台の上に立っています。
 韓日両国の既成世代は、両国間に不信と葛藤ではない相互信頼と協力の基盤を青年世代の皆さんに引き渡すため、最善の努力を尽くしてきました。
 その結果、まだ満足できる水準ではありませんが、皆さんは不幸だった韓日間の過去の歴史の影から抜け出し、自由にそして客観的にお互いをながめることができるようになりました。
 今や韓日両国の青年は正直な歴史認識の土台の上に、お互いを真に理解し、真の友情と信頼を築いていかなければなりません。
 今や韓国の若者たちは日本の皆さんと同じ文化の中に生きております。彼らが感じたり、楽しんだり、愛したり、生活するそのすべての感情は皆さんと同じなのです。
 したがって韓日両国の若者たちは、われわれの世代のような歴史の足カセによる先入観なしに、お互いよい友達になることができるでしょう。
 未来に向けて夢とビジョンを持ち、これを実践する力と勇気を発揮することは青年の特権だと思います。
 韓日両国の青年の皆さんが夢とビジョンを持ち、力と勇気を一つにしながら共に手を握って進んでいく時、本当の友達として21世紀に向かう韓日同伴者関係の新しい時代が開かれることでしょう。
 このような友好と協力の場において、開校以来いつも開かれた心で世界と知的交流をしてきた九州大学の若き知識人たちが中心的役割を果たすことを、私は切に望んでおります。
 そして、ここ九州の眼前の玄界灘に源を発する友好協力の新しい波が世界に広がっていくことを、心から期待しております。

 日本の若い皆さん、そして韓国の若い皆さん。これからやってくる時代は皆さんの時代です。
 皆さんより以前の世代が誤って作ってしまったすべての束縛や誤解や反目から抜け出し、新しい世界で心ゆくまではばたくことを願っております。
 21世紀の無限の可能性を持った両国の若い皆さんは、その遠大な夢を心ゆくまで広げ、皆さんが主人公になる21世紀を希望と生きがいの世紀にしてください。そして平和と協力と繁栄の新しい千年の歴史を新しく書いていかれることを、心から願っております。
 あらためて、伝統の名門、九州大学で名誉博士の学位をいただけることをこの上ない光栄と思います。
 皆さま、どうもありがとうございました。



九州大学韓国研究センター
〒812-8581 福岡県福岡市東区箱崎6丁目10番1号
TEL:092-642-2136 FAX:092-642-4242
E-mail:syokikak@jimu.kyushu-u.ac.jp