PROFILE(著者略歴)
稲葉継雄(いなば・つぎお)

1947年佐賀県生まれ。1970年九州大学教育学部卒業。1973年九州大学大学院教育学研究科修士課程修了。1974年韓国・高麗大学校大学院教育学科博士課程中退。筑波大学文芸・言語学系講師〜助教授、九州大学教育学部助教授〜教授を経て、現在、九州大学大学院人間環境学研究院教授、博士(教育学)。主著/『解放後韓国の教育改革』(共著・韓国文・韓国研究院)、『旧韓末「日語学校」の研究』(九州大学出版会)など。


『旧韓国の教育と日本人』(九州大学出版会 1999年10月)稲葉 継雄著
 本書は、日本に併合される以前の「旧韓国」(時期区分上の用語では「旧韓末」)の教育について筆者がこれまでに書き溜めてきた拙稿11編を集成したものである。しかし、各篇(本書における各章)相互間の連関を考慮して一部添削・再編し、論文発表後に得た新たな知見に基づいて誤りは訂正したという意味において、既発表論文の単なる再録ではない。

 本書は、大きく4つの部分から成る。

 第1部は、朝鮮教育史上近代のエポックとなった甲午改革(1894〜6年)から日韓併合(1910年)に至る旧韓末教育史の概説であるが、平板な制度史的概説ではなく、日本人の関与をキー・ポイントとして旧韓末教育の構造と、そこにおける日韓双方のダイナミズム、すなわち日本側の干渉と韓国側の主体性との緊張関係を明らかにするよう努めた。

 第2部では、政治家3名を取り上げた。井上角五郎は、いわば福沢諭吉の代理人として活動した人物である。伊藤博文は、いうまでもなく初代統監として日本の保護国時代の韓国を統治し、伊藤の政治的ライバルたる大隈重信にも、旧韓国に関する多くの言動があった。ここでは、彼らと旧韓国の教育との関係を改めて浮き彫りにした。

 第3部は、旧韓国の「お雇い外国人」としての幣原坦・三土忠造・その他学務官僚の事例研究である。彼らが、身分上は韓国政府に雇われた身でありながら、結果的に日本による植民地教育への地ならしをしていった過程を実証した。

 第4部は、いわゆる「日語学校」と官公立普通学校の現場にあった日本人教師たちの動きを追跡したものである。「日語学校」と普通学校とでは学校の基本的性格が異なるが、そこにおける日本人教師の「国策の尖兵」的性格は共通であった。第4部では、彼ら個々人の動向の中から最大公約数的日本人教師像を抽出しようとした。

 以上のような4部11章の論究によってすべてをカバーできるわけでは勿論ないが、政治家・学務官僚そして教師という多面的な角度から接近することによって、旧韓国の教育への日本人の関与、直截にいえば併合後の同化教育へ向けての準備工作をほぼトータルに把握できるのではないかと思う。併合後に比べてまだ未解明の部分が多い旧韓末教育史の研究に、本書が一助となれば幸いである。

 なお、本書第4部の続編として現在、『旧韓国〜朝鮮の日本人教員』を執筆中で、2001年度内に刊行の予定である。これは、出身地と出身校の視角から、旧韓国〜植民地朝鮮における日本人教員の実像にアプローチするものである。乞御期待。

目次(抜粋)
1. 概説
  第1章 甲午改革期の朝鮮教育と日本
  第2章 韓末教育の構造 −−言語教育を中心として−−
2. 政治家関係
  第3章 井上角五郎と『漢城旬報』『漢城周報』−−ハングル採用問題を中心に−−
  第4章 統監伊藤博文と韓国教育
  第5章 大隈重信と旧韓国・朝鮮の教育
3. 学務官僚関係
  第6章 旧韓国の教育行政と日本人の役割−−学政参与官幣原坦を中心として−−
  第7章 三土忠造と韓国教育
第8章 旧韓国雇聘日本人「学部職員」のその後−−1909年7月〜1916年10月の動向−−
4. 「日語学校」・官公立普通学校教師関係
  第9章 旧韓末「日語学校」の日本人教師 −−その代表的事例−−
  第10章 旧韓国官公立普通学校の日本人教員 −−教員人事を中心として−−
  第11章 旧韓国官公立普通学校の日本人教員 −−教育活動を中心として−−


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