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第89回定例研究会開催報告

2020-07-03

韓国研究センターでは、去る2月20日に第89回定例研究会を開催いたしました
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*日時:2020年2月20日(木)13時30分~17時45分
*会場:九州大学伊都キャンパス・イースト1号館B-104教室
*プログラム
井上直樹(京都府立大学)
「5世紀後半の百済の王権構造と中国将軍号」

赤羽目匡由(首都大学東京 現:東京都立大学)
「中国皇帝のかさのもとで―渤海王の官爵利用」

森平雅彦(九州大学)
「外部化と内部化の張力バランス―大モンゴルのなかの高麗王朝」

木村拓(鹿児島国際大学)
「朝鮮王朝の外交と「礼」」

鈴木開(明治大学)
「忘れられた関係―朝鮮・後金関係と「交隣」」

辻大和(横浜国立大学)
「朝鮮後期の華人商人について」

*概  要:本研究会では、韓国前近代の国際関係史を専門とする日本人研究者6名が、古代、中世、近世の各時代における国際関係のトピックスをとりあげ、そこにうかがえる構図、特質を模式的に提示する作業を試みた。従来日本の韓国史研究では、歴史的事実の実証的記述に重点をおいてきたが、今後その価値をメタ・レベルの議論や学際的協働の場に開いていくためには、モデル化と理論化、一般的観点からの意義づけを積極的に進める必要がある――こうした問題意識から本企画は生まれた。
井上報告では、5世紀の百済王権が中国王朝(劉宋、蕭斉)に求請した将軍号についてとりあげた。中国皇帝の認証によるこれらの将軍号は百済国内の支配層に付与されたが、その序列原理がそのまま国内の権力編成に活用されたことが示された。これは一見、往年の東アジア世界論で強調された中国文明の求心力を示すかにもみえるが、制度の部分的な採用である点、百済王権が成熟すると独自の位階制に移行する点、朝鮮古代国家のなかでも高句麗や新羅にはない独特の現象である点など、先進文明に対する受容の様態の類型として、積極的でありながら、しかし選択的であるという特徴が浮上した。
赤羽目報告では、渤海王が中国王朝(唐)からあたえられた官爵が内政・外政上の王権の自己主張に利用されたことに着目する。ここでも中国の政治制度を前提にしながら、その運用における独自の態度が示されたが、百済のケースとは異なり、中国の官爵制度に対して本来にはない意義づけを付加・アレンジするという認識のズレ(非対称状況)の存在が、その特徴として浮き彫りになった。
森平報告では、モンゴル帝国の覇権下に高麗が存続を保った状況のモデル化を試みた。皇族との通婚、皇帝親衛隊への参加、高級官職への就任など、王室がモンゴルの国家システムに参入して高級支配層の一員となり、帝国内で有利な地歩を占めようという内部化(一体化)の志向がみられた一方で、モンゴルへの完全吸収を回避し独自の王国の枠組みを維持しようという外部化の志向がこれに拮抗する状況が生じていたこと、そして、対日戦略への協力という高麗にとって本来マイナスの負担が、上記の相反する2方向のベクトルを生み出すモメントとなり、モンゴルの覇権下における高麗の地位の相対的安定に寄与していたことを指摘した。
木村報告では、初期の朝鮮王朝が、宗主国明から「私交」(臣下の無許可外交)として譴責される恐れがあった対日外交について、儒教経典にいう「礼」の再解釈を通じて論理的整合化をはかったことが指摘された。ここでは、現実に先立ち、立場・状況を観念的に自ら進んで突き詰め、自己内での合理化をはかる朝鮮王朝の姿が提示された。
鈴木報告では、後金時代の清と朝鮮との間に、朝鮮―日本・琉球関係を参考とした「交隣」関係が設定された事実に注目した。従来、清・朝鮮関係は中華思想における華夷関係のモデルのように扱われ、19世紀後半に東アジアで近代外交システムが普及する際の前提として重視される。しかし清は初めから「中華」だったのではなく、そこにいたるまで紆余曲折があった。朝鮮との「交隣」関係もその1コマであり、その後成立した「典型的な華夷関係」とされる両国関係も、実際には独特な相貌を帯びていた。
辻報告では朝鮮後期(17~19世紀半ば)の国際貿易についてとりあげた。当時、清の華人商人は東アジア各地に活動を広げたにもかかわらず、朝鮮には到来しなかった。ここでは、その背景を、朝鮮側の海禁方針・国境地帯へのアクセス制限、有力な国際商品の不在といった観点から説明を試みた。
個別報告の後、ディスカッションを1時間にわたりおこない、上記の論題を一般的観点から意義づけ、モデル化するためのアイデアを様々な角度から深めることができた。

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